2012年6月16日土曜日

ユリの開花、芝生の向こう、吊り鉢


 ともかく土づくりからと考えたら、堆肥づくりからとなりました。現在暮らしている狭隘な家の台所で出る生ゴミ堆肥なのです。以前ベランダで数年かけて、ようやく黒くほんわかしたものは3月に梅の木の根のあたりに埋めました。
 ということで、玄関先に義父が園芸資材を入れていた古いプラスチックの漬物桶を移動させ、かつお厚削りの出汁滓や野菜屑をぼんぼん入れて、朝市で買った米糠や、僅かな墨田の土を混ぜ、都会らしくない匂いが出はじめた頃、母のお供えに、古いお付き合いの信州のリンゴ農家さんから一箱届いた春リンゴの詰め物だった有機の籾殻にリンゴの皮・芯も入れて、匂い問題の緩和ができたものを、畑予定の場所に畝を作り埋めました。冬春中庭の草取りをして積んであったものも合わせてあります。
朝市でトージバさんから買った大豆を植えます。
荒れた土地でも大豆からが良い。と義父も言います。本日はその桶に入っていた石灰を撒きました。来週種まきできるでしょうか。私にも何の用事のない日は義父母の山梨見学デーです。
 結構、不定休にした文庫稼業は、皆さんそれぞれが予定を入れるので大変なのです。不定休・無給でしょうかね。
私たちは、このくにの肥やしになるしかない。と考えた話を母にして、新潟で聞いた人間の土葬したところが一番良い肥やしになるんですって。と話したら、そう言われるとカトリックの神父さん達は土葬だったわと、教えてもらったのです。
その意味を今考えると、皇室が従来は土葬であったというのは、この国の土となる責任を果たしていたのだとも思えるのです。衛生上などは遥かに超えて、微生物と神格が一体だったのかもしれません。
火葬になる事を、立派な葬儀にしてしまったのはつい半世紀です。

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