2011年8月27日土曜日

数えてみれば

 本日、8月27日は、父の誕生日。とは言っても53歳で死んでいるので、今年の私と同じ年齢だったのです。この数日父の文章として、アップしてあるものを読みなおしていますが、7月6日の文章や、父からの手紙のような小文の中で、簡潔に言われている事を実際に“生き方”としてできる人は少ない。
 実践があって、思想となり、思想があって実践が可能であったのです。その事に賛嘆するのはできても、同じ生き方はできない人が、ほとんどであったのです。父の死の前の絶望、マハラバは絶望の思想なのだと言いきっている事は、生きていた間の、家族として目に見えていた個人にかかるさまざまな苦しみ、悲しみも言っているようでもあるのです。
 そして、残された私は、至らない娘だから、希望を掲げる事を選んでいるのだろうと思っています。どこまでできるのか、自分の意思を貫けるのか。
 この年齢になって迷いながらも、一つの意思を守ると言う事が、相対するものも守る、もっと言えば他者を守る事なのだと考えるのです。
 いくつもの、小さな産地や技が、今消えていきそうです。ですが、そこに貫こうという意思、守っていく拘りがある時、その事が他者の希望となり、他をも守る事になるのだとこれからも言っていこうと、私にできる事をするしかないのです。父の年齢を超える、時間という不可逆な流れに生きていくのです。

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