父が逝ってから、もう26年過ぎた事になります。25年忌も母の体調を理由として、行いませんでした。
墓もなければ法要も行わず、寺の住職であったという事だけが残っているのも、不信心な娘を持っていたからと、諦めている気がします。
やっと、気持ちの整理ができたのかもしれない。25年過ぎて、振り返る事ができるようになったのか、客観的に考えられるようになりました。
まだ、文庫の形にはなっていないけれど、それでも父の持っていた本の一部を保管し続け、在り方を問い続け、文庫番自身の経てきた事も、母親の存在も。少しだけですけれど、感情を離して考えられる年月になっているようです。
2010年6月14日月曜日
2010年6月6日日曜日
6月6日
一年、ホームページの形態を変えてみた。株式会社のサイトをどう表現するのかが難しい。個人と法人との二つの人格を表しながら、一人で運営するというのは、本来のひとの生理からは外れているのだろうと思う。ジャン・ジャック・ルソーの本などを読んでいたのは高校時代。社会制度がきしんでいるのは、明治以降の欧化の無理からあるのだろうか。現実には地球全体が、一辺倒の考え方では表現できないと言っているのだから、じっくり、序々に変化していくのだろうけれど、まだ、しばらくこのサイトの形で個人と法人の別を表現しながら、マハラバ文庫の文庫番でいなければと思うし、宿題となっていることもしないとならない。家族の中にもいろいろと変化があって、下の娘は家に戻ってきて非常に助かっている。
2010年5月29日土曜日
筋を通せない
5月を終える前に、少し書類資料の整理を・・・・。始めても読みふける半日になります。まだ出してあるホットカーペットの上で文箱開けたりしながら、白保のサンゴ礁を守ろうとあったのが1984年。だったのか、平良さんからの呼びかけかなど見たりして、そうそうこのころは大仏の姓で書いていこうとしていたのだったけど、今はどちらも使う両姓使用をしているのは、間に自他との在り方について、頓着しなくなったからだろうか。家とは、夫婦とは?自でありまた他であり・・・・。そんな感じで通そうとした筋が見えなくなって、右往左往。右も左もあっても良いか、それも在り。そのような時期を経て多くの人が呼ぶ文庫番でしかなくなったのでしょう。
今読みなおしていた本で思い出した、父の文章。これも署名はしてないけれど、和尚の思想の一部となっているものです。マハラバ文庫でアップしていかないとならないのかしら。父はなぜこれには署名をしなかったのでしょうね。なんだかごちゃごちゃと整理のついてない曇りの日です。
2010年5月20日木曜日
綿入れちゃんちゃんこ
今、こういう仕事をする人は居なくなったわね。というよりはこれは、お母さんへの心だわ。そして、ボクちゃんへのカネさんの思いね。よほど、大事な息子さんを託して、その感謝の思いでしょう。自分の請けた仕事の中から少しずつを取りわけて、そして柄も合わせて作ってくれたのね。大事にお母さんが着なけりゃ駄目じゃない。というと、私に持たせようとしたのを、また大事に衣装箱に戻してあります。
CPの息子を預けた、母親が一針ずつ仕立てて、綿を入れて作ってくれたものです。こういう一点ものは、粗末にはできないものです。この息子さんは、山形県での青い芝の中心で動いてくれていました。もう30年近く母は仕舞いこんであります。先日、季節の入れ替え手伝って、私に持っていけと言うのを、止めたのです。母に着て欲しいという、同じ母親としての思いだったのだろうなと、いつか受け継ぐかも知れないとも思いながらでした。
2010年5月6日木曜日
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