蕗の薹に、地球の鼓動を感じたのは2007年のきなり歳時記だったと思います。それは3月10日を悼む詩でした。それは山川草木国土悉皆成仏を柔らかく言いたい拙さでした。
今年は、3月10日も3月11日も重く一言では表せられない辛さを感じていました。多くの人たちに、僅かでも信じるという、草木の芽吹き大地の甦りを伝えたいのに、忘れないだけではない忘れることができない様々が沸き起こってしまうのでした。
人間のつくりだした放射能で冒された、この地上に、草木は芽吹いてくるのです。花も咲くのです。それなのに私たちは復興などという驕ったことばしか持ち合わせていない。そう、父の蔵書の中に「人間の復興」もあったのですけれど、それは何を読み取ろうとしていたのでしょう。在ったという事実しか文庫番には記せない。
放射能というものも、戦争というものも、人間が生み出した忌まわしいものであるとしたら、今年の新型ウィルスという、力の及ばないものは同じ様に忌避すべきものなのでしょうか。
私たちが繰り返してはならないことを、抱えながら、なお自然をいたぶっている事への警告ではないのでしょうか。
まだ、大地の恵みを信じたい。自然というものの懐の奥行きに安心したいと思います。
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