2018年8月5日日曜日

地域の中に


 ペチュニアは切り花にしても、綺麗だという事を、昨日短歌の勉強というお茶のみのついでの話に聞いて、今朝庭から家の中にも。
 お付き合いではじめているつもりの短歌だから、なかなか上手くは詠めなくて、自分の言いたいことを、相手は思った通りに伝わるとは限らないと、少ない語彙をあれこれ思案します。だから、お茶のみと称しても他の人の意見を聞くのは、一首を仕上げるのにとても役立つのです。そしてこぼれ話は宝物のように、しまって置ければ、いつかは輝く言葉になってと励まされます。もちろん真面目に月例会の歌を詠み合わせしています。
 歌は手元を離れたら読者のもの。先生はそう言いますが苦闘。自分の言いたいことさえろくに詠めていません。
 地域の中に、なかなか喋ることのできないお兄さん(中年)が居ます。思春期のどこかで、気持ちが沸騰して、他の人とのコミュニケーションを取らなくなったとも聞いていますが、お母さんも片足が不自由。この半月姿がみえなくなっています。ある朝電動自転車ででかけたまま行方が分からないと最初は危機管理の防災無線は流していましたが、まだ発見はされていないという事です。
 地域の中で、このお兄さんの他にもやはり言葉を交わすことの少ない人がいます。地域に住むという事の難しさは、移住してきた者は、当然にしても、世代を重ねても、異質なもの、大多数に溶け込むことのない住み方があります。そういう様々を包含して地域はあるのです。これを簡単にコミュニティという言い方にしてはつまらないけれど、人間存在の根の部分なのでしょう。ことさらに荒立てて追い出すことはしないけれど、助力もしない。淡々と、生きていく場。 難しくもある反面優しさとも思えるのです。誰も調整できる訳ではない個々人の生き方を、放しおいてあるのが、地域の奥行なのかもしれません。
 この、猛暑の中を行方知れずになって、どうした事でしょう。お母さんもやるせないだろうに、そういうお茶のみの噂話ではあるけれど、組にも入っていないその家の存在も地域の一員としてみているのです。
 朝、庭に出て草花の世話をしていると、自転車で行き来していた姿がまたみえるようになるでしょうか。
 

0 件のコメント: