幼いころから親しんでいた、ドリトル先生漂流記に大きな海カタツムリの殻にドリトル先生の一家?が乗り込んで航海をする巻があったのを思い出したのは、雨上がりの芝生に大きなカタツムリを見たからです。
どういう種類なのかよく解りませんが、この近辺には居るようです。
家を背負ってその生涯を生きていくのですね。実家とか婚家とか出家とか、考えなくてもいいのでしょう。
知人が、またその知人から兄からの連絡があったけれど、公衆電話だったらしくすぐ切れてしまったという事を教えてくれました。電話のあるところに居るのでしょう。私にはもう連絡するつもりがないのか、どうかも解りません。
何を背負ってしまったのか。自身と一体のものが、生きている間は離すことができないのです。その心の中を推し量る事もできないのですからしょうがない。
ドリトル先生は、ほぼ万物との会話もできて、こころを推し量る事も出来た物語でした。
1 件のコメント:
あるがままに生きるという事が、下手としか思えないこの頃(笑)
着飾る事も見栄もやめて、そのままが良いとは申せ 他人から見た自分は見苦しくなのかとも案じたり(笑)
何が必要で、何が不要か?
毎日暮らすその中で、試行錯誤です。
カタツムリ、ここ数年全く見なくなりましたねぇ~
殻を背負って生きる姿は、胸にしーんと響きました。
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