土浦での同窓会に二泊で出向いたのに、このエレベーターの話を知人とするのにも寄らず、時間をもてあまし、町を歩いても、学園都市からの足も中途半端な駅前は、市役所が場所を使い、商業の賑わいは、みな東京へと流れているのを感じるのです。地方市街の21世紀の様に、この国の現実を考えたのです。それは五月の半ば過ぎ。
遅れての文庫番日誌。五月晴れの故郷行。早苗田の夕暮れ、実っていく麦の穂。山道へと入って行く先は、それは一つ向こうの山でした。秋の読書会の顔合わせもでき一安心。懐かしい両親の友人御夫妻はお元気でした。石岡の駅前での待ち合わせにもびっくり。昔日とはこの事なのかと周りを見回したのです。
同窓会もそれぞれの近況に相槌をうつ、皆熟女。
翌日に、旧友の墓参があるのでもう一泊。空いた時間に隣駅の神立にも行く事ができたはず、もう少し時間を使えば・・兄の現在も解ったはず。いや解らないはず。
昨年末に、送った里芋やらの小包は、石岡局からの問い合わせを重ねて、山梨に戻ってきていました。五月には、次の準備に芽を出しています。昨年の秋冬、今年の春。どうしようもない、自分の身動きに、兄の消息が解らない。閑居山に行ったけれど、誰も居ないみたいと、数人から聞かされたのでした。だからと言って、私には病む子を置いては行かないとしたのに、五月になっても、やはり志筑を素通りしての故郷行としました。
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