母のところに行くのは、なぜか配送日が多いけれど、母からは、細かいところにも目の届くヘルパーさんたちと違って、ぶらっとしか寄らずに、あら探しをしているような娘に思われるらしいです。少しばかりの本の片づけをして、お茶のみ話なのに、「この辺りで、生協とっているというだけで、贅沢していると思われちゃうから。」と言うので、猛然と反論をしてしまうのです。本来の協同組合の役割は持たざる者同士が手を携え合って、貧困から社会を変えていこうという運動よ!「だって、そんな事配達のお兄ちゃん言わないし、・・・。ヘルパーさんは生協で購入しなくてももっと安いものあるから無理に買わないでって教えてくれるし。やっぱり生協は高いもんだとこの辺じゃ思っているんだよ。」
そこをね、みんなで助け合って、良いものを安くできるしくみが生協だって説明してほしいな。生協にだって配達に来る人も説明できるように教育の充実を言ってもいいんじゃない。そこにお金を使うことが大事だって利用している組合員だから言えるんだから。「アンタだったら言えるかもしれないけれど、私には良くわからないもの」そんな事じゃあ困るな。生協は責任を持つ意思のあるものによって成り立つ組織なんだから、お母さんもお母さんの責任で言えるはずなんじゃない。そうでないと、なんのためにユニオンまでやっているんだか、言えるはずじゃないの?
「・・・・・・そうやってまた、苛める。」これじゃあ、高齢母虐待娘の典型になってしまう。
生協は、高いものを売り付けていると、生活保護の家計では利用するのは贅沢だと、周りから思われてしまうのでした。